2017年12月29日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑮民政局の活動<4> ベアテ・シロタと女性の人権


ベアテ・シロタ
日本国憲法草案作成のための民政局組織では、「人権に関する小委員会」として、ピーター・K・ロウスト、ハリー・エマーソン・ワイルズ、ベアテ・シロタの3人がメンバーになっている。
そもそもベアテ・シロタがこの組織に入っていること自体が異色だ。

女性の民政局員としては、運営委員会に所属したルース・エラマンが目を引くが、彼女の役割は草案づくりの頭脳というより、有能な秘書であった。
有能な秘書という言葉では誤解を生じるぐらい有能であった。
彼女がいてこそ当時の民政局の活動は歴史に残ったといってもいいぐらい有能であった。

エラマンという特別な存在であった女性を除くと、具体的な草案づくりに実際に関わったベアテ・シロタという女性が際立って目を引く。
当時22歳。
もちろん最年少の民政局員だ。
軍歴も学歴も肩書きもそうそうたる集団の中で、ベアテ・シロタが一人浮いているように見える。

1995.10.20発行
彼女の略歴についたはシリーズ第1回で触れたが、実は彼女には「1945年のクリスマス」という著作(1995年発行)がある。
その中には当然のことながら彼女の生い立ちから民政局以後の活躍までくわしく書かれている。
*昨年(2016年)朝日文庫から再版が出ている。

さらには、当然というか、生き残った最後の民政局員となり、生き証人としてさまざまなメディアにとりあげられ、2012年12月30日になくなるまでのあいだ、彼女の生の言葉を多く伝えた。

今年もNHK・BSプレミアムの「アナザーストーリーズ 誕生!日本国憲法」(2月15日放送)やETV特集の「暮らしの憲法 第1回 男女平等は実現したのか」(5月6日放送)という番組に登場している。

また、2005年にはジェームス三木の脚本・演出で「真珠の首飾り」という民政局の憲法草案づくりをテーマとした演劇が上演された。

つまり、有名すぎるぐらい有名なのだ。
あえて私がここでとりあげる意味がないぐらいだ。

ベアテの両親はユダヤ系のロシア人だ。
ベアテ・シロタという覚えにくい名はユダヤ系だからだろう。
父レオはリストの再来といわれるほどの天才ピアニストだった。
山田耕筰との縁でシロタ一家が来日したのは、1929年、ベアテが5歳の時だった。
以来、ベアテは10年間日本で暮らすことになる。

戦時中、両親は日本にとどまったが、ベアテはアメリカに留学していた。
終戦直後、GHQはベアテの日本語能力に目を付け、ベアテも日本にいる両親に会いたいがためにGHQで働くことになる。

ベアテは両親の音楽的才能は受け継がなかったが、語学に能力を発揮し、日本語を含めて6カ国語をマスターしていた。
この能力故に民政局に所属していたのであろう。

NHKの番組から
民政局が日本国憲法草案づくりを始めて、ベアテが「人権に関する小委員会」に配置されたとき、リーダーのロウストがベアテに「あなたは女性だから、女性の権利を書いたらどうか」と言った。
ベアテは飛び上がらんばかりに喜んだ。

というのも、ベアテは日本で暮らした10年間で、日本女性がいかに無権利状態にあったかということをいやというほど見聞きしてきたからだ。

さっそく都内の大学や図書館から可能な限り各国の憲法を集め、語学力を駆使して読み始める。

「私は、各国の憲法を読みながら、日本の女性が幸せになるには、何が一番大事かを考えた。
それは、昨日からずっと考えていた疑問だった。赤ん坊を背負った女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿が、次々と浮かんで消えた。
子どもが生まれないというだけで離婚される日本女性。
家庭の中では夫の財布を握っているけれど、法律的には、財産権もない日本女性。
『女子供』(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成人男子の中間の存在でしかない日本女性。
これをなんとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない」
*「1945年のクリスマス」から

ベアテは次のような条文案を作った。

第18条 家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。
それ故、婚姻と家庭とは、法の保護を受ける。
婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎をおき、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことを、ここに定める。
これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並びに婚姻および家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定さるべきである。

第19条 妊婦と乳児の保育にあたっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる。
彼女達が必要とする公的援助が受けられるものとする。
嫡出でない子供は法的に差別を受けず、法的に認められた子供同様に、身体的、知的、社会的に成長することに於いて機会を与えられる。

第20条 養子にする場合には、その夫と妻、両者の合意なしに家族にすることはできない。
養子になった子供によって、家族の他のメンバーが、不利な立場になるような偏愛が起こってはならない。
長子(長男)の単独相続権は廃止する。

第23条 すべての公立、私立の学校では、民主主義と自由と平等及び正義の基本理念、社会的義務について教育することに力を入れなければならない。
学校では、平和的に向上することを、もっとも重要として教え、常に真実を守り、科学的に証明されたことや、その研究を尊ぶことを教えなければならない。

第24条 公立、私立を問わず、国の児童には、医療、歯科、眼科の治療を無料で受けさせなければならない。
また適正な休養と娯楽を与え、成長に適合した運動の機会を与えなければならない。

第25条 学齢の児童、並びに子供は、賃金のためにフルタイムの雇用をすることはできない。
児童の搾取は、いかなる形であれ、これを禁止する。
国際連合並びに国際労働機関の基準によって、日本は最低賃金を満たさなければいけない。

第26条 すべての日本の成人は、生活のために仕事につく権利がある。
その人にあった仕事がなければ、その人の生活に必要な最低の生活保護が与えられる。
女性は専門職業および公職を含むどのような職業にもつく権利を持つ。
その権利には、政治的な地位につくことも含まれる。
同じ仕事に対して、男性と同じ賃金を受ける権利を持つ。

第29条 老齢年金、扶養家族手当、母性の手当、事故保険、健康保険、障害者保健、失業保険、生命保険などの十分な社会保険システムは、法律によって与えられる。
国際連合の組織、国際労働機関の基準によって、最低の基準を満たさなければならない。
女性と子供、恵まれないグループの人々は、特別な保護が与えられる。
国家は、個人が自ら望んだ不利益や欠乏でない限り、そこから国民を守る義務がある。

民政局の憲法草案づくりは、各小委員会で作られた具体案が運営委員会で徹底的に議論されて完成していく。
ベアテが作った案も運営委員会の洗礼を浴びる。

さっそくケーディスが次のように言う。

「このような具体的な指示は、有益かもしれないが、憲法に入れるには具体的すぎる。
原則を書いておくだけにとどめ、詳細は制定法によるべきだと思うがね。
憲法に記載するレベルのことではないのではないだろうか」

つまり、ベアテの案は全てカットしろということだ。

そこで同じ小委員会のロウストがベアテの援護射撃をする。

「大佐! 社会保障についての諸規定を憲法に入れることは、最近のヨーロッパ諸国の憲法では、すでに常識になっています。
日本では、このような規定を入れることは、特に大事だと思います。
これまで日本には、国民の福祉に国家が責任を負うという観念がなかったからです。
この観念を国民に受け入れられるようにするには、憲法に謳っておく必要があります。
現実に、今の日本では、婦人は商品と同じです。
子供を父親の気まぐれによって、庶子を嫡出子に優先することもよくありません。
米の作柄の悪い時には、農民は娘を売るのですよ、これは本当の話です」

といったように激論が続き、妥協点が見いだせない時はホイットニーの裁定に任せる。
そうして、ベアテの条文案はほとんどがカットされていくことになる。

「運営委員会の3人と、私たち3人は、まるで検察官と弁護人の関係に似ていた。
しかしこの闘いは、最初から運営委員会が力を持っていた。
その点では軍隊の組織だった。
激論の中で、私の書いた“女の権利”は、無残に一つずつカットされていった。
ひとつの条項が削られるたびに、不幸な日本女性がそれだけ増えるように感じた。
痛みを伴った悔しさが、私の全身を締めつけ、それがいつしか涙に変わっていた。
晩年のベアテ・シロタ NHKの番組から
気がついたらケーディス大佐の胸に顔を埋めて泣いていた。
民政局で最も尊敬していたケーディス大佐が、理解を示してくれないことが、私には悔しかった。
大佐は、泣いている私の背中に手をまわして抱きとめてくれたが、私の条項は冷たく拒絶された。
私がケーディス大佐に抗議できたのは、彼の軍服の胸を涙でぬらすことだけだった」
*「1945年のクリスマス」から
最終的にベアテの条文案は、第18条が残っただけで、あとは一部生かされる部分はあったとしても、ほぼすべてカットされてしまった。

*ベアテは後に同じ民政局の同僚だったジョセフ・ゴードンと結婚し、ベアテ・シロタ・ゴードンと名乗るようになった。


 佐渡ドンデン山シリーズ①  ◆ ノコンギク(キク科シオン属)◆

ノコンギク 2017.9.30撮影
今年の9月末に佐渡へふらっと出かけた。主な観光地は回ったが、ドンデン山とよばれる気軽なハイキングコースがとても印象的だった。何回かに分けて、ドンデン山で出会った草花を載せる。
山小屋からの登山口に群生していたノコンギク。秋の始まりを代表する花だ。ドンデン山のどこにでもたくさんの群生があり、まさに咲き誇っていた。

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